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小さい子を連れて弔問に行く

桂宮がお亡くなりになられた。
詳しくは存知あげないけど
身体障害者関係の公務を熱心に務めておいでだったそうだ。
車椅子の自分が出てゆけば
バリアフリーが進むかもしれないって。

どうしてこの方の公務のご様子が報道されなかったのかわからないけど
皇太子が結婚し、その嫁さんがだんだん機能しなくなったあたりから
両陛下をのぞき、皇族の公務は報道されなくなった気がする。
秋篠宮家を始め、皆さん、それはそれはたくさん公務なさってるのに。
テレビ局は皇太子の嫁さんのバックに何か強力な圧力を受けているのかと邪推したくなるほど。

さてと、弔問の話ですわよ。

一般人でいうとお通夜なわけだけど
皇太子のとこの愛子さんは弔問に行かなかったわね。
平日でもお通夜は夜なんだから
駆けつけることができるわよね。
だいいち桂宮がお亡くなりになったのは日曜の午前よ。
支度だって十分間に合うだろうしさ。
って、制服でいけばいいんだし。
なのに、ブッチしたわ。
で、翌日のお舟入りの儀式を愛子さんの母親である雅子さんまでブッチした。
愛子さんは学校があるから仕方ないにしても、
夕べ元気いっぱいだった人が今日は体調不良っていったいなんの病気なんだか。
謎のウィルスなんじゃないの。

まあ、そんなのはおいといて。
私はかなりの年齢になるまで、お通夜も葬儀も出たことがなかったのよ。
母の一存で出させてもらえなかったの。
私が4歳くらいの頃、
親戚のおじさん(大叔父さん?)のお通夜が初めての経験だったんだけど、
私と妹がそれぞれお膳の前に座っていた事で
手伝いに来ていた人なのかその場に居た人なのかわからないけど
「子どもひとりに一つのお膳だなんて・・・」
と言うのを聞いた父がヒステリを起こして、母と私たちに「帰れ!」と叫んだのよ。
お膳ひとつに座っていなさい、って言えばずむのに
父はそうやって事を大きくする男でした。

で、母は私たちを連れて帰宅したそうだわ。
母によると、憤懣やるかたなかったので、途中姉の家に寄ったそうだけど。
伯母さんのうちに寄った事は覚えてないけど、
葬儀の真っ最中に帰された事はよく覚えている。
缶詰のミカンの入ったポテトサラダが美味しいそうで
私はすごく楽しみにしていたのよ。
そのうえ、従姉妹たち(私たちよりひとつずつ年下)もお膳の前に座っていたのに、
彼女たちはそのままだったのがものすごく悔しかった。
私が覚えていた事に母は驚いていたわね。
食い物の恨みは怖いのよ。

母によると
「あの時、あんたたちがごねずにぱっとついてきてくれてよかった」そうだけど
たぶん母の剣幕(父の言葉は覚えていない)に、
これはやばい、とでも思ったのだろうな。

以後、母は葬儀関係に私たちを連れていかなくなったので
葬儀でどのように振舞えばいいのかまったく知らないで大きくなり、
結婚して、ここ最近あちこちの葬儀に出るまで
どう振舞っていいのかわからなかったのよ、私。
これはけっこう困りましたよ。
未だに困惑することしきりですもん。

だから、秋篠宮家がお小さい悠仁殿下もお連れになったように
小さいからと家に置いていかないで経験させた方がいいと思うのよ。
by kumorinotini | 2014-06-10 22:07 | 雑感 | Comments(0)

ミラーサイトだったのに、本家になっちゃって・・・


by kumorinotini