泥かぶら

20歳くらいの頃、親にすすめられて
「泥かぶら」という演劇を見に行ったことがある。

見終わってから何故かふつふつと怒りがわいてきた。
説明のつかない不快さが強く残った。
会場のお客さんたちは盛大に拍手していたけど
とても拍手なんかできなかった。
する気になれなかった。
腹が立って腹が立って仕方なかった。

でも・・・・
何が
どこが
どうだから、
とははっきり形になっていなかったので
その時はもやもやと不快感を抱えて帰ってきたのだが
後に小中学校のイジメ問題が浮上してきた時に
私はああこれだったのだと気づいた。

「泥かぶら」は<イジメ是認>の話だったのだ。

しかもいじめられる方が悪い、と断言している演劇だったのだ!


話はこんな感じ。

とある村にひとりの女の子がいた。
親がいないうえに誰も世話をしてくれないので
彼女はいつも汚いかっこうをしているしかなかった。

醜い、とガキどもにイジメられていたけど
たぶん美醜の問題でなくガキどもは後ろ盾のない彼女を
自分たちの鬱憤晴らしのためにそう言っていじめていたのだろう。

で、つけたあだ名が泥かぶら

変なあだ名!

だが、泥かぶらはそれで負けている子供ではなかった。
(このヘタレでないところに私は好感を持った)
やられた分やり返していたのだ。

ところが、イジメに対してきちんとお返しをしていただけだったのに
村の大人たちは自分のガキどもの悪さを叱るどころか
一緒になって泥カブラをいじめるのだった。

そんなある日、変なやつが来て
たまたま気持の凹んでいた泥かぶらに妙なことを吹き込むのだ。

「いつもニコニコしてろ」
「みんなの言うことをきけ」とかなんとか。

要するにみんなに可愛がられるキャラになれ、と言うわけだ。

と、それまでプライドを持って強く生きていた泥かぶらが
なんといきなり村人の<パシリ>になってしまうのだ。
(今までの頑張りは何だったんだよーーー!!)

そりゃあ村人はいい気分だわさ。
逆らっていた子供が便利使いできる<パシリ>になったんだから。
気持ちよくこき使いましたよ、泥かぶらを。
 (笑顔でこき使われている泥かぶらを見て私は情けなかったよ。
 お前のあの強い心はどこへ行ったんだ?
 そんな非人間的な村人にヘコヘコするなよ、と腹が立ってきた)

そんなこんなのところへ人買いがやってくるわけだ
年貢の払えないヤツは娘を売って、その金で払え、というわけだ。
あろうことか泥かぶらは自分から志願して
村のバカガキの変わりに売られていくのだ。
(なんと不条理な!!)

お前が今売られたところですぐ次ぎの子が売られるのに。

で、そのあとがさらにひどい。
人買いは眠っている泥かぶらの顔を見て
観音様みたいだなんてほざいて山の中に置き去りにするのだ。
 (山の中だよ。
 時代設定からいくと狼も熊もうじゃうじゃいた山の中。
 いくら観音様みたいで俺にこの子は売れない、と思ったって
 それはないだろ、と思ったよ)

無責任にもほどがある。

狼や熊に喰われろ、とでもいうのかね。

そういう時はちゃんと連れていって
どこぞに勤め先でもみつけてやるのが
正しい大人のあり方なんじゃないか。


ぐあーーー!!


どんどんあの時の腹立たしい気持が吹き出てくる。

要するにこれは

いじめられる方が悪い、と言ってるようなものではないか。

いじめられてもニコニコして言いなりになって走り回っていろ、
と言っているのと同じだ。 



でも、この演劇は名作としていまだにあちこちで上演されてるらしいのね。

止めてほしい。


何故イジメ側をそんなに擁護するの?

そんなに泥かぶらが悪いの?

醜いものはそんなに悪いの?

醜かったら いじめても当然なの?

いじめられている方が悪いの?

孤児の彼女をいじめる村人は悪くないの?

どうして被害者が加害者に媚びねばならないの?


まあ、年貢に苦しむ農民たちだって別な意味では被害者だが、
だが、それは泥かぶらのせいではない。

泥かぶらをいじめる事で憂さ晴らしをするのは間違っている。

ホームレスを殴り殺す少年たちとなんら変わらないじゃないか。

真山なにがしという人の作品らしいが、
被害者を責めてどうなるっていうの?
被害者に全責任を押しつけないでほしい。


また、いまだに喜んで上演する方もする方だと思う。


この演劇が

人権無視のイジメ是認の最悪な劇であることに

どうして誰も気づかないかなぁ・・・・
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Commented at 2006-04-25 23:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kumorinotini at 2006-04-26 11:27
鍵コメントの方へ
コメントしてくださってありがとうございます。
そしていつも読んでくださってるなんて・・・感謝!感謝!です。

しかも わざわざ調べてくださったとは!
「泥かぶら」関係のサイトにリンク張っとけば良かったですね。

さてさて・・・・
人が10人いたら 
10通りの感じ方・考え方があってしかるべきだと私は思っていますし、
また、そうでなかったら怖い状況だなぁと思います。
たぶん
鍵コメントさんのような受け止め方のほうが大多数だと思いますよ。
だからこそ今まであちこちで上演されてきているのでしょうし。
みんな拍手をするのだろうと思います。
私みたいな感じ方は・・・・・かなり特殊だろうと思います。
なにせ 根がアマノジャクなもので。

鍵コメントさん、とっても良い文章なのに非公開なのはもったいない!
Commented by luca at 2006-06-08 09:50 x
今日 小学校のおはなし会に行ったところ、校長先生から泥かぶらのことを聞きました。どんなおはなしなのかと検索していたらたどりついたのです。今日行った学校もいじめが多いようでした。

前回は手白のさる。きょうはほうすけのひよこを語りました。どちらもいじめが介在します。そして苛められたほうは去ってゆきます。この話を語ると子どもたちの目の中にときどき はっとしたようすが浮かびます。

子どもたちはどのように受けとめているのでしょう。いじめられている側に感情移入し共感すれば 知らずにしているいじめにもっと敏感になるかもしれない。芝居や物語や本を受けとめることはさまざまな立場 さまざまな考え方、ひとの痛みを知ることではないでしょうか。

わたし自身は観ていないのでどのように感じるかわからないのですが...
Commented by kumorinotini at 2006-06-08 11:54
コメントありがとうございます。

たぶん「泥かぶら」は
 「回りの行為が理不尽だと思っても
  回りを変えようと思う前に まず 自分が変わろう。
  自分を卑下せず 笑顔で暮らしていれば 回りが変わるのだ」
そういう事を訴えている演劇なのだろう思います。
(鍵コメントの方もそう書いてくださいました。
 鍵コメントさん、内容を少し書いてごめんなさいね)
でも、これは作り事ですから、回りは変化したわけですが
現実に通用するかといえば・・・まず無理だろうと思っています。
イジメに遭いながら 自分の気持を高々と保つ事はたいそう難しい事です。
イジメ被害者は加害者に気に入られようと必死の笑顔で加害者の理不尽に応じています。
では、それでイジメが減るかといえば・・・エスカレートするだけです。

それでも、それでも 校長先生のおはなしが
何か考えるきっかけになれば と一縷の望みをかけずにはいられません。
by kumorinotini | 2006-04-25 10:44 | | Comments(4)

ミラーサイトだったのに、本家になっちゃって・・・


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