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マイナス方向に愛を語る人たち

とある社宅で出会ったオキーフさん(40才ちょい)は
自分の子供の事を話す時、
まるで邪魔でしょうがないかのように話すのだった。

なので、私は、オキーフさんはてっきり子供が嫌いなのだと思っていた。

オキーフさんに言わせると、こうだ。

「まったく下の子ったら、ばかみたいに育つから服を買ってもすぐ無駄になる」

「上の子ときたら すぐに泥んこ遊びをするから玄関が泥だらけ」

「この子(下の子)は汗っかきだから タオルが手放せくってーほんっと面倒だわー」

なんたらかんたら・・・・

書くとどうってことない言葉だけど
いちいち顔をゆがめて吐き捨てるように
いかにも苦々しく言うので、聞いている私は心が冷える思いだった。

そのわりには
いつも子供たち(4才♀と2才♂)と連れだって外に居たし、
えらくこまめに面倒を見ているのだったが。

そんなある日、お隣の奥様がそっと言った。

「オキーフさんねぇ、子供さんができるまで随分苦労したんだって。
 だから、生まれた時はすごく嬉しかったってこないだ言ってたわ。
 それに子供たちは自分の宝だとも言ってた」


う・・・嘘ぉーーーーーー


驚く私を見て、お隣さんはニヤリとした。

「そうは見えないでしょ?
 私もねーそれを聞くまでは ちょっとアレかなぁなんて思ってたもの。
 でも、あの言い方は最大限の愛情表現らしいのよ。
 びっくりよねぇ」

そう。

そうなのだ。

世間にはマイナス表現でしか愛を語れない人もいるのだ。
ここまで極端でなくても
ソフトにマイナスの愛を語る人は案外多いのではないかと思う。

<謙遜>ともまた違うのである。
<謙遜>からもう一歩踏み込んだ、ともいうべき表現で
なされているのではないかと思う時がある。

ややこしい話だ。

その“マイナス部分”を信じた挙げ句、
うっかり同情したり
眉をひそめて話に乗ったりするとあとで馬鹿をみるのはこっちである。

誰もが「好きだぁーーーー」と愛を語るわけではない、
という事を肝に銘じ方が良いだろう。

でないと
とんでもない間違いをしてしまうかもしれない。

くわばら、くわばら・・・・・
by kumorinotini | 2006-08-01 11:26 | 雑感 | Comments(0)

ミラーサイトだったのに、本家になっちゃって・・・


by kumorinotini