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「何度でも」住生CM浅田真央バージョン

今も流れているかどうかわからないけど
住生の浅田真央を起用し、ドリカムの「何度でも」の楽曲を使用したCMは
けだし傑作だと思う。

ずっとそう思ってきた。

先日道を歩きながら、「何度でも」を口ずさむうち
どうしようもなく泣けてきた。

♪何度でも 何度でも 何度でも呼ぶよ
君の名前、声が嗄れるまで
悔しくて苦しくて頑張ってもどうしようもない時も君を思い出すよ
一万回駄目で へとへとになっても
一万一回めは 何か変わるかもしれない
・・・・

浅田真央はいったい誰の名前を呼んだのだろうか?
「どうしようもない」と心が折れる事はなかったのだろうか?
そしてまさに一万回くらい練習して練習して完璧にしたら
ジャッジに何か変化があるかもしれないと考えたりしたのだろうか?

彼女がどう頑張ろうと努力しようと
その努力が結実しようがジャッジに変化はなかった。
たぶんその事は彼女が一番わかっている事だろう。
一番痛切に感じているのは浅田真央とその周囲だろう。
だが、彼女の心は折れなかった。
折れてほしいと考えた人はいたかもしれないが
折れなかった。
何故折れなかったのか、今も不思議でならない。
心折れても誰も彼女を責められないところまで行っていたのに
折れなかった。
毎年毎年目標を掲げ、チャレンジし続けた。
練習し続けた。
それこそ何度でも何度でも。

私たちはフィギュアファンは
「フィギュアの神様、お願いです。どうかひたすら努力し技術を磨いた者が報われるようにしてください」
と何度お願いしたことか。
だが、報われることはただの一度もなかった。
私たちは神などいない、と思い知った。
ニーチェじゃないけど。
だけど、浅田真央はフィギュアを捨てなかった。
100%報われる事はないかもしれないけど
半分くらいならあるかもしれない、と信じたのだろうか。
あるいはいつかどんな形になるかわからないけど報われるのだと信じたのだろうか。

今のジャッジがオリンピックで彼女を勝たせる気はないのはわかっていただろう。
ある時を境に彼女は「金メダル」と言わなくなった。
言わないといけない場面以外では。
だから、彼女が今のスケート業界が金と政治で成り立っており、
彼女のために日本のスケ連が金を使う気なんぞまったくない事ははっきり理解していただろうと思う。
なのに、どうしてあれだけがんばれたのだろう?
「何度でも 何度でも」練習できたのだろう?
真摯にスケートに取り組むことができたのだろう?
そして「スケートっていいなと思いました」と言うことができたのだろう?

頭の中で「何度でも」の歌詞がぐるぐる回り、
そんな事をぐじゃぐじゃ考えながら歩くうち、涙が出てしまったというわけだ。
まったく「♪こみあげてくる涙を何回拭いたら~」である。

by kumorinotini | 2014-05-03 22:14 | スポーツ | Comments(0)

ミラーサイトだったのに、本家になっちゃって・・・


by kumorinotini