人気ブログランキング | 話題のタグを見る

揺れる

若い頃は「揺れない」のが良いように思っていた。

学生の頃、
「私、最近すごく揺れてるんだよね」
と悩み顔の友人が言ったのに対して
「私、今は揺れてない」とか
「そうでもないなぁ」とか言ったりしたもんだ。
それを誰かが
「私は揺らさない」
と混ぜっ返してその場は大笑いになったんだけど。

そんな風に
確固たる信念、断固たる自分を持ち
絶対に曲げない、揺れない、そんなのが最高なんだと思っていた。
あれこれ思い悩んだり、揺れたりするのはものすごく格好悪いと思っていた。
そんなのは大人じゃないと思っていた。
迷わず突き進むのが良いのだと信じていた。

でも、年齢を重ねた今、
揺れないのはかなり怖い事なのではないかと思っている。
揺れすぎるのもマズイけど
揺れないのはもっとマズイのではないかと思うようになった。
揺れない、という事は「迷わない」という事だけど
それは言い方を変えると「決めつけている」という事だ。
「頑なだ」という事だ。
他の発想をしないという事だ。
それはどこか不自由なのではないだろうか。
だから、何かの衝撃が来た時にひどく脆いのではないかと思う。
その衝撃がたとえささやかな物であったとしても。

「迷わない」人の中には
あれこれ考えて「これに決めました」という場合も考えられるかもしれない。
でも、そういう人は揺れる余地を残しているように思うのだ。
揺れる事の大事さをきちんと認識しているように思うのだ
だから衝撃が来た時、ちゃんと揺れる事ができるだろうと思う。

言い習わされた言葉だが、
柳に雪折れなし、というではないか。
柳はそよ吹く風にさえゆらゆらしているのに
降ってくる雪をうまくかわしたり
積もった雪にしなやかに耐えて、雪解けを待つのだ。
あるいは
耐震構造のビルとそうでない構造のビルみたいなものだ。
小さい地震の時はそんなに差は出ないかもしれないけど
大地震が来た時、耐震構造はフニャフニャ(?)しながら
地震の揺れをしのぐけれど
そうでないビルは大きく亀裂が入ったり
悪くすると倒壊するかもしれない。

jeanneさんの記事にも書いてあったけれど
自然界には<1/f の揺らぎ>というものがある。
自然のものは常に微妙に揺らいでいるという事だ。
その身の中に揺らぎを抱えていると言うことだ。
人間は自然からいささか外れてきている存在かもしれないが
それでも自然から発生したものとして
少しなら揺れていた方が良いのではないかと近頃思うのだ。
by kumorinotini | 2007-03-29 11:16 | 雑感 | Comments(0)

ミラーサイトだったのに、本家になっちゃって・・・


by kumorinotini