尖った言葉
2007年 05月 28日
私の中には尖った言葉が溢れている。
子供の頃はそれを外に出さないと自分が傷つくのじゃないかと思っていた。
年取ってきてわかったのは
尖った言葉は自分を傷つけない、
誰かに向けて出した時に
相手も自分も傷つくのだ、ということ。
そして、自分の中にずっとしまっておけば
いつか摩耗していく、ということ。
だから、出さなければ良いとはわかっているのだけれど
何かの拍子に出てしまう事がある。
尖った言葉はゴツゴツしていて柔軟性に欠けるため
心の中での収まりが悪く
ついついポロリと外に出てしまうのだろうか。
「ついつい」だろうと「うっかり」だろうと
外に出さないようにしたいものだが
それがなかなかに難しいのだ。
子供の頃はそれを外に出さないと自分が傷つくのじゃないかと思っていた。
年取ってきてわかったのは
尖った言葉は自分を傷つけない、
誰かに向けて出した時に
相手も自分も傷つくのだ、ということ。
そして、自分の中にずっとしまっておけば
いつか摩耗していく、ということ。
だから、出さなければ良いとはわかっているのだけれど
何かの拍子に出てしまう事がある。
尖った言葉はゴツゴツしていて柔軟性に欠けるため
心の中での収まりが悪く
ついついポロリと外に出てしまうのだろうか。
「ついつい」だろうと「うっかり」だろうと
外に出さないようにしたいものだが
それがなかなかに難しいのだ。
by kumorinotini
| 2007-05-28 12:09
| 雑感
|
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