「ありがとう」と「すみません」
2007年 07月 17日
どこで読んだ文章だったか忘れたけれど、
「乗り物に乗った時、後ろの席にいた姑世代と思しき女性達が
『うちのお嫁さんは「すみません」は言うけれど
「ありがとう」は言わない。でも、「すみません」と言われても
ちっとも嬉しくない。ありがたみを感じないから』
と話しているのを聞き自分はこれまで深く考えて来なかったけれど、
そう言われればそういうものかもしれないと思った」
などと書いてあるのを読み、
姑たちはそんな風に考えているのかといささか驚きました。
幸か不幸か私は今のところ嫁の立場しか経験していないので
そこからしか言えないのだけど・・・・
心から「ありがとう」と言える事をしてもらったり
物をもらったりしないと「ありがとう」は出にくいかもしれない、
やっぱり「すみません」になっちゃうなぁなぁんて
非常に失礼な事を考えていました。
が、このたび、姑が入院したのでその見舞いにいくたびに
舅が病院の看護師や看護スタッフに
「あ、どうも」「すんませんね」
とはっきりしない声でモゴモゴ言うのを聞き、
あの文章の<姑世代>の人たちの言葉は
真実を言い当てているかもしれないと思いました。
これは私が勝手に考えているのだけど。。。
「ありがとう」は「有り難く思う」から転じたものであり
「滅多にないと思う」と言っているのであり、
こんな事は滅多にない事だから嬉しく感じていると
表現しているのではないかと思うわけ。
つまり、「ありがとう」には<感謝>の気持が溢れているのではないかと。
一方「すみません」の方は、、、
どこかで読んだものだけれど
「すみません」とは「澄みません」であり、
「今、私の心は澄んでいない」と言っているのですって。
何に対して澄んでいないのか?
それは、あなたが私のためにしてくれた事に対して
こっちの心が澄まない、スッキリしないと言っているのだとか。
つまり、感謝の気持というより
「申し訳ない」の気持の方が強いらしいのですよ。
というわけで
「ありがとう」=「感謝します」と
「すみません」=「申し訳ない」を比べると
やはり「すみません」という言葉だと「感謝の気持ち」が
伝わりにくいように思えてしまいます。
「あ、どうも」に至っては・・・・論外だわー。
そんなこんなで
舅の発音不明瞭な「あ、どーもどーも」や「すんません」では
感謝の気持が伝わっていないのではないかとちらりと不安が。
かくして
舅や姑が病院内で看護スタッフに親切にしてもらえるように
看護の方々に世話になった時は
心を込めて(もごもごではなく)相手の耳にきちんと届くように
「ありがとうございます」と言うようにしています、私。
人によっては
「金を払っているのだからしてもらって当然」
とふんぞり返る人もいるだろうけど
人間は感情の動物です。
気持ちよく看護できるか、不快な気分で渋々やるか、
ずいぶん違うような気がするのです。
というのも、私も舅から「どうも」「すんません」と言われて
ちっとも嬉しく感じないからなんだけど。
まったくありがたみが伝わってこないし
口先だけで言ってるのではないかと邪推してしまいます。
邪推じゃなくて本当に
舅はたいして有り難く感じてないのかもしれないけど。
そう言えば
私だって義父母に「ありがとう」でなく「すみません」を連発してきたんだから、
反省大だなぁ。
「乗り物に乗った時、後ろの席にいた姑世代と思しき女性達が
『うちのお嫁さんは「すみません」は言うけれど
「ありがとう」は言わない。でも、「すみません」と言われても
ちっとも嬉しくない。ありがたみを感じないから』
と話しているのを聞き自分はこれまで深く考えて来なかったけれど、
そう言われればそういうものかもしれないと思った」
などと書いてあるのを読み、
姑たちはそんな風に考えているのかといささか驚きました。
幸か不幸か私は今のところ嫁の立場しか経験していないので
そこからしか言えないのだけど・・・・
心から「ありがとう」と言える事をしてもらったり
物をもらったりしないと「ありがとう」は出にくいかもしれない、
やっぱり「すみません」になっちゃうなぁなぁんて
非常に失礼な事を考えていました。
が、このたび、姑が入院したのでその見舞いにいくたびに
舅が病院の看護師や看護スタッフに
「あ、どうも」「すんませんね」
とはっきりしない声でモゴモゴ言うのを聞き、
あの文章の<姑世代>の人たちの言葉は
真実を言い当てているかもしれないと思いました。
これは私が勝手に考えているのだけど。。。
「ありがとう」は「有り難く思う」から転じたものであり
「滅多にないと思う」と言っているのであり、
こんな事は滅多にない事だから嬉しく感じていると
表現しているのではないかと思うわけ。
つまり、「ありがとう」には<感謝>の気持が溢れているのではないかと。
一方「すみません」の方は、、、
どこかで読んだものだけれど
「すみません」とは「澄みません」であり、
「今、私の心は澄んでいない」と言っているのですって。
何に対して澄んでいないのか?
それは、あなたが私のためにしてくれた事に対して
こっちの心が澄まない、スッキリしないと言っているのだとか。
つまり、感謝の気持というより
「申し訳ない」の気持の方が強いらしいのですよ。
というわけで
「ありがとう」=「感謝します」と
「すみません」=「申し訳ない」を比べると
やはり「すみません」という言葉だと「感謝の気持ち」が
伝わりにくいように思えてしまいます。
「あ、どうも」に至っては・・・・論外だわー。
そんなこんなで
舅の発音不明瞭な「あ、どーもどーも」や「すんません」では
感謝の気持が伝わっていないのではないかとちらりと不安が。
かくして
舅や姑が病院内で看護スタッフに親切にしてもらえるように
看護の方々に世話になった時は
心を込めて(もごもごではなく)相手の耳にきちんと届くように
「ありがとうございます」と言うようにしています、私。
人によっては
「金を払っているのだからしてもらって当然」
とふんぞり返る人もいるだろうけど
人間は感情の動物です。
気持ちよく看護できるか、不快な気分で渋々やるか、
ずいぶん違うような気がするのです。
というのも、私も舅から「どうも」「すんません」と言われて
ちっとも嬉しく感じないからなんだけど。
まったくありがたみが伝わってこないし
口先だけで言ってるのではないかと邪推してしまいます。
邪推じゃなくて本当に
舅はたいして有り難く感じてないのかもしれないけど。
そう言えば
私だって義父母に「ありがとう」でなく「すみません」を連発してきたんだから、
反省大だなぁ。
by kumorinotini
| 2007-07-17 11:51
| 雑感